壇洋一ブログ

2014.9.29

面の坂の刑 8

今のみやま市山川町から南に車を走らせ、南関の手前に石囲いの基礎がありますが、

松風の関という関所跡です。

  

慶長7年、壇家と樺島家は、関ヶ原の戦いで敗れ、幽閉された誾千代と、宗茂に物資を

隠密に運ぶ途中、この関所で捕らえられました。

 

今ではその関所の西側には九州縦貫道路が通っていて様変わりしていますが、それでも

当時の雰囲気を忍ばせる雰囲気は多少あります。

 

この関所は田中吉政の領地内にあり、ここを超えると肥後の加藤清正の領地内で心配は

なかったと思いますが無念の死を遂げることになります。

二人は、百姓の格好に身を隠し何度となく糧米を送り続けたようです。

そのルートは、みやま市本郷から 松延  南関  腹赤村(誾千代) 高瀬(宗茂)

 大牟田  松延  本郷

片道30数キロを夕暮れどき出発し、6時間ほどの工程だったようです。夜遅く腹赤村・高瀬に

着き、仮眠をとって早朝有明海を背に三池ルートで帰ったろ記されています。

 

難関から小岱山を背に20分ほど車を走らせると腹赤町に付きます。

その町の中に、ひっそりと祭ってあるぼた餅型をしたお墓があります。

そのお墓こそ、誾千代姫のお墓です。

今でも近所の人が供養に来るのでしょう。

小奇麗に清掃されています。

 

 

 

 

 

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