壇洋一ブログ

2014.10.26

面の坂の刑 10

面の坂の刑から413年が経ちました….。

 

今でも、その刑が行われた場所は、薩摩街道の途中、現在のみやま市山川町

に入る坂の中腹の竹藪の中にあります。

街道と言っても狭いところは1.8メートル程の小道です。

 

そもそも、磔刑に至った理由は、関ヶ原の戦いで西軍についた立花宗茂と妻の

誾千代が田中吉政に柳川城を明け渡すことになりましたが、幽閉先に

物資を送り続けた罪で、壇親子は磔刑と斬首刑に処せられました。

 

その事件が起こる少しほど前、死を顧みず援助し続けたお礼に、誾千代から

短刀をもらったそうですが、その短刀が、現在、福岡県に現存するのが分かり

ました。

 

本来は我が家に伝わるものですから、家宝としてあるはずですが、ある人の

手に渡っているということは、約400年の間に何かあったのでしょう….。

 

実は、その家宝の持ち主は高齢で、我が家と縁が深いお寺の総代をしている

そうで、ある人を介し、私に会いたいと連絡がありました。

 

実は私も、一度会ってみたいと思っておりました。

昔、その方と、どのような縁があったのか?死と引き換えにもらった短刀とは

どのようなものなのか?見せてもらいたいと思っております。

 

それにしても、この方の存在を知ったのは1年程前ですが、私もお会いしたいと

思っておりました。その願いが叶ったのであれば嬉しいです。

 

この知らせは偶然の知らせだったのか?、必然だったのか?

 

その方と私の先祖の繋がりが解明されるかもしれません。

お会いできる日を楽しみにしておきます    

 

 

 

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