最近の注文住宅の動向調査では、耐震・免震・制振・高断熱・高気密といった住宅の 基本性能について関心が年々高まっております。 弊社でも、会社設立当初より住宅の基本性能は長期にわたり良好な状態で使用することを 前提に性能面に取り組んでまいりました。 国土交通省の長期優良住宅が始まってからは、多くの住宅をこのような仕様にす…
壇洋一ブログ
2023.3.2
壇・樺島家の歴史(5)
時は1601年、関ヶ原の合戦後、西軍についた立花宗茂と誾千代は敗戦で柳川城を出て 加藤清正公の領地である熊本県の高瀬と腹赤村にそれぞれ蟄居させられました。 合戦後のこの時期は、まだまだ世の中に不穏な空気が流れていた時代でした。 壇・樺島両家は柳川城時代、立花宗茂と誾千代には並々ならぬ大変お世話になった こ…
2023.2.27
寒いからだけで無く、断熱化しないといけない理由
最近は国交省の断熱化の指針にもあるように、高断熱高気密化された家が増えて 来ましたが、いわゆる実家に戻ると両親は冬は寒くて、夏は暑い家に住んでいる のがまだまだ一般的ですねー。 WHOが推奨している室内温度は18℃以上、子供や高齢者はもっと高い温度を 推奨していますが、日本の住宅の在宅中の室内温度は59%…
2023.2.19
SUUMOリフォーム[福岡県版]
福岡県中央区にある弊社(ホームランド)は、リクルートが運営しているスーモ リフォームで一年以上検索順位、1位を更新しております。 事例は全面改修を中心に108事例を掲載しておりますのでぜひご覧になって 下さい。 上位の会社は大手ハウスメーカーや地場の大手住宅会社ですが、その中で 1位を更新しているのは、お客様目線での提…
2023.1.10
壇・樺島家の歴史(4)
ときどき壇・樺島家の歴史についてここでお話しすることがありますが、数年前に このブログを読まれた東京の樺島さんと言う方から年賀状を戴きました。 その方はやはりここで書いております樺島家とは繋がりがある方でした。 それから、ときどき連絡を取り合って情報交換をしております。 みやま市の物語の舞台になった場所の一つ(吉井から…
2022.5.7
壇・樺島家の歴史(3) お年寄りの死
6年ほど前にのことですが、 私と樺島さんを面の坂と首切り坂に案内してくれたお年寄りのことをお話しします。 *この竹藪の小道が薩摩街道の一部(面の坂) 面の坂と処刑場の正確な場所に案内してもらったのはこのお年寄りです。 案内してもらってから、毎年3月の母の命日ごろには、ご縁を感じお元気だろうかとも思い 挨拶をかねて様子見…
2022.4.9
壇・樺島家の歴史(2)”偶然ではなく必然”
もう10年ほど前になるでしょうか!? 1601年、壇家と樺島家の親子が糧米を旧領主に送る罪で捕らえられ、磔刑と打首で無念の死を 迎えることになりましたが、その場所は今も昔とそれほど変わらない昼までも薄暗い藪の中。 今の瀬高町と山川町の接する面の坂と言う旧薩摩街道の脇の空地(首切り坂)ですが、 私の母の命日にみやま市に行…
2022.4.5
壇・樺島家の歴史(1)
以前、私のブログ(壇の軌跡)で紹介していましたが、時は戦国時代末期に遡ります。 関ヶ原の合戦のすぐあと、徳川家康の東軍が勝利しましたが、世の中は不穏な空気に 包まれている頃に起こった南筑後(今のみやま市)の壇・樺島家の事件です。 関ヶ原の戦いで西軍についた戦国武将の立花宗茂と誾千代姫は、敗戦して柳川城を明け渡し 熊本の…
2021.2.10
古の史実 面の坂の事件に纏わる、糧米を運んだ道
今、柳川と久山町の地元では、戦国武将の立花宗茂と正室の誾千代の大河ドラマ 誘致運動が盛んですが、1600年の関ヶ原の合戦で西軍について敗戦した 立花宗茂・誾千代は加藤清正の執り成しで柳川城を出て、宗茂は熊本県の高瀬に、 誾千代は今の高瀬から数キロ先の熊本県玉名郡長洲町腹赤に蟄居されることになります。 当時…