幼少の頃の不安と恐怖心が一つの思いになった…。
私の実家は10年ほど前まで、今の福岡県みやま市瀬高町にありました。この辺りの壇の姓は殆どわが先祖からもらった姓と聞いています。最近、知ったことですが、みやま市の歴史年表で先祖の歴史を調べてみると1390年頃から確認できます。
当時、豪族であり大庄屋であった先祖は、安土桃山時代の後期に田中吉政から柳川藩を追われ幽閉された立花宗茂とその夫人「ぎん千代」に物資を送ったことが発覚し、1601年に子供を残し処刑されました。
それから、20年後、柳川藩に返り咲いた立花宗茂から声がかかり壇家は再興されたのです。そのとき柳川藩が家を新しく建て替えてくれたそうです...。
今の柳川市にある立花藩の別邸“御花”の一部の造りが、この家と似ているということでしたが、数回の改修で類似箇所は確認できませんでした。
このような家に私は27歳まで住んでいました。「もっと前の時代に生まれていたら左団扇だったのにね~」と冗談交じりによく言われていました。恐らく江戸時代初期に建った家ですから、築後390年ほど建っていたんでしょう....。町から文化財の話も何度となくあったように記憶しています。この地域の歴史を知るうえで壇家の歴史は重要なようで、今、当時の文献のほとんどは柳川の古文書館に寄付しています。
その家は萱葺きの120坪程の家でした。茶の間には囲炉裏の跡を練炭炬燵にして、天井は囲炉裏の煙を屋根裏に逃がす大きな換気口がありました。屋根裏には刀ダンスや人を運ぶカゴ等があったりと江戸時代の遺物が埃をかぶって山ほどありました。
でも栄華は遠い昔のこと。現実は、大雨が降ると雨漏りがするし、台風の時などは大変です。小学校5年生の時、大きな台風が来たときのことは今でも鮮明に覚えています。竹藪と林に囲まれている実家は、林の轟音、突風による瞬間的な家の揺れ、凄まじい雨漏りでバケツは間に合いません!恐怖心と「何とかしないと!」と思う一心で柱にしがみ付いていました..。台風が過ぎ去るのを神様に祈りました。台風が過ぎ去ったあと、父と一緒に屋根に登って瓦の補修をするときも瓦の下地が腐っていて、気を抜いて歩こうものなら転落してしまいます。ですから、親には言えませんが、このようなボロボロの由緒ある家?なんてどうでもよかったんです。親戚はこの家がなくなることを嫌い、どうかして住み続けることを薦めましたが反感さえ感じていました。とにかく台風が来ても安心して住める家が欲しかったのです...。
しかし、幼少の頃の私の家庭は、両親がビニール加工業をしていて、けして裕福とは言えない家庭でした。ですから、親には悪いのですが、生活するのにやっとで、家の補修をするような余裕がなかったのです。父は私が中学3年生のときに他界しましたが、あと仕事を引継ぎ生活を支えてくれたのは母と姉でした。数人のパートさんが手伝いに来ていましたが、夕方仕事が終わり、食事を済ませたあとも母は夜遅くまで働いていました。でも高校生の私にはどうすることもできず、家の補修のことなど口に出して言うことは出来ませんでした。そのことより、大学まで行かせてくれたことに感謝することが関の山でした。
そのころから「家のことで心配したくない」「いい家に親を住ませたい」と思うようになりました。そして、この道に進む切欠になったように思います...。
社会人になって…
大学時代はホテルでアルバイトに明け暮れました。
ホテルの社長の勧めでホテルマンになり7年間勤務し、一度は生涯の仕事として考えましたが、ホテル業というのは来る人を迎えるというのが基本のスタンスです。職種柄、受身の仕事に疑問を抱くようになりました..。
そんな時、住宅新報社の専任講師で、住宅営業マンの講師でもある住宅研究所の堀氏の薦めもあってこの住宅業界へ。
当初は勉強のために福岡で最も厳しいと言われていた大蔵住宅で3年間住宅の勉強を、そして全国展開している大和グループの不動産関連の会社に4年間就職し不動産の勉強をしましたが、不動産業は一度購入のお世話をすると、後のお付き合いが無くなってしまいがちで継続的な商売に繋がりにくく、それより住宅の仕事をすれば家が朽ち果てるまでのお付合いが出来ると思うようになりました。
30代の会社をつくる1年前、今から16年前に台風19号が来たことがありますね~。、そのころ母は田舎に一人で住んでいましたが、台風が過ぎ去ったあとに、何はさて置き、まだ風が吹き止まないうちに、樹木や電柱が倒れ惨憺たる状況の中、心配で帰ってみたら、何と!雨戸は壊れ1階の瓦は落ちて、屋根の半分近くがなくなっている...。
どう見ても住める状況ではなかったのです。にも関わらす、家の周囲に散乱したゴミをせっせと片付けている母親の姿が..。まだ住めると思ったんでしょうか?そんな母親の姿をみたら不敏で言葉になりませんでした。「もうこの家には住めないから片づけなくていいよ!」「一緒に帰ろう~」
今も鮮明に覚えていますが、あの時ほど年老いた母親が小さく見えて、いとおしく可哀そうに思ったことはありませんでした...。
その頃、大宰府に新居(マンション)を構えて間もない私にとって実家の膨大な補修に要する費用を工面することはできませんでした。
もうこれ以上、一人住まいはさせたくありませんのでマンションを売却し、一戸建てを建て、念願かなって同居することにしました。
家づくりへの想い
それから1年後、メンバー4人で会社を設立しましたが、当時の主力社員はいまも変わらず頑張ってくれています。
企業というものはお客様に奉仕し、企業としての社会貢献を果たすために適正利益を確保することは当然のことですが、それより、住宅の業界を通じて地域の素晴らしい街づくりのために、優れた建築物を提供し、社会から必要とされる会社をつくることが夢です。
今こうして、住宅の仕事に携わるようになり思うことは、日本の住宅は平均寿命が短いことです。ここ10年間で住宅の性能は飛躍的に良くなりましたが、まだまだ欧米並みということには至りません。
地震がないヨーロッパの家は石で造っていましたが最近では石がないので、基礎のベースはコンクリートで、壁はブロックでつくるのが一般的になってきました。木を使うのは屋根組だけですから永く住めるはずです。しかし、日本人は木の文化に慣れ親しんでいます。木造は使い方や適切なメンテナンスにより末代まで美観を保ち生き続けることができます。
でも、今の家と昔の家(今は無き実家)を比べてみると今の家がすべてに於いて優れているとは言い難いのです。
根本的に違うのは、家のフレームの大きさの違いです。やはり、どのようにお金をかけた家(飾った家)でもフレームがしっかりしていなければ、どれほど長く住み続けることができるのか疑問です。囲炉裏の煙は屋根裏にあがり、構造材や屋根の萱を消毒し害虫を寄せ付けない効果があります。
床下は高く、今の住宅のように密閉されず通風に支障がありません。壁は土壁で出来ていますので夏は涼しく冬は暖かい。軒の出は穏やかに長く、夏場の太陽と冬至の日当たりを考えてつくられています。洪水のような自然災害から身を守るための措置も講じられていました。 私の実家でも、メンテナンスをする余裕があったなら、間違いなく今でも住めたはずです。
昔の人は家を大切に守り先祖の教えに従い次の時代に受け継いできました。それに比べ現代人は自由奔放に物事を考え、家に対する執着心はなくなり自由に家を売り買いするようになりました。世の中は豊かになり、昔のような人と人の絆はなくなり近代化と共に「日本の心」は薄れてきました。
しかし、今、世界レベルで環境を考えるようになり、同時に使い捨ての時代から、物を大切にする時代に移行しようとしています。量から質の時代へ。地球環境を重んじた生活スタイル(ロハス)やアンテイークや古物が部屋の中に一つでもあると何となく落ち着くのもその表われかもしれません。忘れていたものを思い起こすようになったのです。
そして、家に求められることは、ます安心して住めることが第一条件、そして家族の団欒の場所、休息できる場所であり、素の状態で居れる場所、そして自分スタイルで住めるこだわりの棲家でなければいけません。
近年、地球環境が話題にのぼり温暖化もすすんでいます。
日本も以前のように正確な四季を感じることが無くなりつつあるように思います。それに伴い生態系も壊れ、天候も異常気象がつづき自然災害もますます膨大になるように感じています。そのような災害を想定したびくともしない家つくりが急がれます。
皆さんも九州、山口で家を建てるなら、長寿命のポイントは、台風対策、シロアリ対策、温暖化による遮熱対策、そして、びくともしないフレームと定期的なメンテナンスが必要です。
幼少の頃の不安と恐怖心が一つの思いになった…。
大手が言っているメンテナンスフリーは嘘です。定期的に有料のメンテナンスをしてメンテナンスフリーが実現するのです。
メンテナンスしなくていいものはほとんどありません。あるいはそのようなものは莫大な費用を要します。メンテナンスの容易さも今後の検討材料です。
もし、あなたの家が80~100年住める住宅であるなら30年間ローンを払い続けたにしても次世代(子供の世代)までゆとりある生活を送ることができます。
いま、国土交通省では、「いいものをつくってきちんと手入れして長く大切に使う」というストック型社会に向けたモデル事業を始めました。そして欧米並みに長持てする先導的な材料、技術、システムを導入した建築スタイルを公募しています。これを超長期住宅モデル事業と言いますが、このモデル事業に応募する準備をしています。
もちろん、このことに挑戦するということは、住宅の耐震性、耐久性、遮音・遮熱性能、住宅構造材、その他の資材、そして長期維持管理するための履歴の保存やメンテナンス計画などの見直しが要求されます。しかし、そのことが正しいのであれば、私たちには消費者の目線で「いいものをつくってきちんと手入れしてもらい次世代まで受け継いでもらう」ことを天から授ったつとめとして家づくりを通じ貢献していかなければいけません。